腕を食べたくなるのは、はたして愛なのか。(李生美さん #1)

愛という言葉の裏には、いろんな意味が潜んでいる。憎悪、執着、性欲、承認欲求、支配。

うごめく欲望をまるっと綺麗にコーティングする力が、愛にはある。

愛とは何かを考えれば考えるほど、それは本当に愛なのか?と、すぐ立ち止まることになる。
愛おしいという感情の先に、憎たらしいという感情が待ち構えていることを、わたしは知っている。
「愛」というどこまでも広くて、底が知れないほど深いものについて、実体験にもとづいてわたしなりの輪郭を探っていくことにする。

今回は、愛とカニバリズムについて。

* * *

それはただ、おいしそうだったから

高校2年生の時に、仲良くなった女の子がいた。その子は人と一定の距離をとっている子で、そのぶ厚い壁を突破することは難しいように思えた。わたし自身、人と仲良くなるのに時間がかかるタイプだったので、その子とは少しずつ、本当に少しずつ、関係を積み重ねていった。

すっかり打ち解けて雑談ができるようになり、新たに親しい友達ができたことへの喜びを噛み締めていたある日のこと。教室での席が前後になり、前の席のその子が上体をひねる形で、左腕をわたしの机に乗せて話をしていた。

その子の左腕をふと見やる。ふさふさと産毛が気持ちよさそうにそよいでいて、少し焼けてムチっとしている。折り曲げられた肘の内側から盛り上がった肉の感触を、思わず知りたくなった。

食べたい!!!と思った瞬間、その子の腕にかぶりついていた。

その後のことはよく覚えていないけど、おそらくめちゃめちゃに拒否をされ批難され、その時からわたしに対する心の扉は完全に閉じてしまった。それがひどく悲しかった。

わたしは、ただおいしそうだったからかぶりついたのだけど、それはダメなことだった。

人の体はその人のものであり、わたしがどうこうしてもいいものではないという当たり前なことを、当時はあまりよく分かっていなかった。

それからは許可を得るようになった。

仲良くなった人の腕を「食べたい!!!」となる瞬間はふと訪れる。ひと目が多い場所や、大人数でいる場合は我慢し、ふたりきりになった時に「腕食べていい?」と単刀直入に聞いてみる。
反応はさまざまだ。「え???絶対無理」という人。「えー!!!!別にいいけど……」としぶしぶ了承する人。「はい」と自ら腕を差し出してくる人。拒否された場合は「なんでー!!」と悲しみを伝えるものの、関係を壊したくないので引き下がる。了承してくれた人の腕はありがたく頂戴する。
「腕を食べたい」と伝えた時点で関係が壊れそうだなと察した人には、伝えないでいることももちろんある。

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