腕を食べたくなるのは、はたして愛なのか。(李生美さん #1)

なぜ、人は人を食べたくなるのか

なぜか腕だった。特に肘から下の部位に惹かれた。
むき出しな頻度が多い部位だからなのかもしれない。

腕を食べるといっても、本当に肉を食いちぎるわけではなく、肉の感触を歯で楽しみ、毛穴からの汗を味わうくらいである。
なので特にカニバリズム願望があるわけではないけど、腕を「食べたくなること」において、カニバリズムから考えてみようと思う。

カニバリズムにも、動機はさまざまだ。

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まず思い浮かぶのが、映画「羊たちの沈黙」などに登場するハンニバル・レクター博士。
彼の動機は、粛清にある。
知能と教養が高く精神科医としても優秀。ただ静かに話している姿にも冷たい炎のようなゆらめきがあり、怖いもの見たさで踏み込んでしまうと大火傷を負ってしまいそうな危うさを秘めている。その魅力的な人物描写に惹きつけられた人も多いはず。
美食家でもある彼が優雅に人肉を食べるシーンは、人の肉はどれほどおいしいのだろうと、誰もが一度は抱く好奇心を掘り起こし、こちらに悪魔の手招きをしてくる。
彼のカニバリズムの原点は妹だが、実際には無礼な人や不遜な人を殺してその肉を食らう。映画「レッド・ドラゴン」では、不快な演奏をかましたフルート奏者も捕食対象になるあたり、異常な潔癖ぐあいが窺える。

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映画「RAW〜少女のめざめ〜」ではカニバリズムが主題であり、登場人物の恐ろしい食欲とセットで描かれている。
厳格なベジタリアンとして育てられた少女が、姉と同じ獣医科大学に入学するところから物語が始まる。新入生へのイニシエーションとして動物の臓物を無理やり食べさせられたことから、肉食にめざめ、肉を異常なほど求めるようになり、ひょんなことから人肉の味をしめてしまう。
肉食を厳しく禁じられていた反動の揺り戻しが、制御できないほどの食欲となって彼女を支配する。好意を寄せる男性との性行為においては、食べたい、食べたい、食べたい、けどいけない、という葛藤が強くみえる。
彼女の場合は、愛するからこそ食べてはいけないのである。
ラストはある重大な事件が起きて幕を閉じるのだが、どうしても人を食べたいという欲望からは、逃れられないことが無情にも示される。

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漫画『チェンソーマン』では贖罪として描かれている。
少年誌連載でありながらの衝撃のカニバリズム描写は、人類を救うためでありながら、愛する人に対する責任にもみえた。おそらく自分との関係が希薄な人であれば、食べるという選択肢は生まれなかっただろう。

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