母にはそれが、愛だった(三好優実さん #4)

だけどここにきて、やっぱり私には愛が分からない。母が継父を「気持ち悪い」という姿に、なぜだか今はすこし愛のようなものを感じるからだ。これが本当に分からない。理解ができない代物である。

だけどその感覚が芽生えたことで、私のなかで愛に対する恨みのようなものが浄化されつつあるのはとても不思議だ。

先日、実家に息子をつれて帰ったとき、継父は息子を愛しそうに抱き、他人に躊躇なく「孫」だと紹介していた。継父なりに、母や私たちを大事に思ってくれていたのかもしれない。

母の不幸のひとつだと思っていた妹の出産については、まったく私の勘違いだった。子どもを産み育てる幸せを知った今、なんてひどいことを考えていたんだと思い知る。妹はとてもいい子に育ち、ふたりのいい潤滑油となっていた。実家のコタツで母と「狭い」と言い合いながら温まるふたりを見て、私はなんだか謝りたい気もちになった。

ところで愛の話を4回にわたり書いてきたくせに、夫の話がわずかにしか出ていないのは、やっぱり私にはまだ現存する人間との「愛」がよく分かっていないからだ。夫のことを愛していると言えるのか、今は正直分からない。息子に対する気もちほど無条件にすべてを提供できないし、大切だけど、期待もするし絶望もする。無性に終わらせたくなるときだってある。

だけどこれまでの恋愛相手とは、ひとつだけ違うことがある。私は夫に対して「こういう人が幸せになれる世の中にしたい」と思っている。ちょっと大きすぎるかもしれないけれど、だけど私のひそかな野望である。この野望が愛と関りがあるのかどうかは分からない。

私は両親のような怒鳴り合いながら築く愛はごめんだけど、だけど私たちは私たちで、長い年月をかけて私たちなりの愛を築いていくのかもしれない。それはもしかしたら、他の人には理解できないものかもしれない。

「私たちなりの愛を築きました」と言える日は、もしかしたら50年後とかかもしれないし、こないかもしれない。だけど一緒に愛する息子を育てながら、ふたりで、さんにんで、関わり合いながら、話し合いながら、すこしずつ形になっていくものを見つめていきたいと思っている。

今日で連載は終わるけれど、たとえば私が60歳になったとき、愛についての続きを書いてみたい。老後の楽しみがひとつできた。

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