たらこと明太子(ふつうエッセイ #437)

たらこと明太子は似ている。

どちらも、スケトウダラの卵巣が原材料という特徴があるので当然のことだが、それにしても佇まいがそっくりだ。

佇まいがそっくりなのに、味が異なる。大雑把に括れば、同じ象限に括られてしまうだろうが、全然違うというのが大半の意見だろう。たらこのおにぎり、明太子のおにぎり。僕はどちらも大好きだけど、たらこのおにぎりが食べたいときに、明太子のおにぎりを出されたら面食らってしまう。

でも、考えてみれば、世の中そういうものばかりだ。

みかんとレモン、麦茶と烏龍茶、ダンゴムシとワラジムシ、それぞれ似ているけれど、全然違う。

WindowsとMacだって……と思ったけれど、同じ「パソコン」ではあるが、WindowsとMacは、そもそも似ていないですね。でも、たぶんあまりパソコンを日常使用しない人からすれば、WindowsとMacは似ていると思うのではないか。

そう考えると、「似ている」かどうかの感覚とは、対象に対する関心度と反比例するとも言えそうだ。たらこと明太子の専門家(いるはずだ)からすれば、「え?たらこと明太子が似ている?なかなか興味深い意見ですね」なんて、一笑に付すだろう。彼らからすれば、全く似ても似つかぬものであり、それぞれ深く探求する価値があるものに違いない。

たらこと明太子は似ている、と書いた。

それは、たらこと明太子に対して、あまり関心を持っていなかった証だ。

おかしいな、どちらも幼少期から好物だったのに。近々、両方買ってきてじっくり観察してみよう。ご飯も美味しくなるから、一石二鳥である。