どんなにいびつでも、預かっている命(早坂あゆみさん #4)

看護婦に支えられて診察室に入ってきた母親はまるで「涙が服を着ている」ようで、先生はただ寄り添うしかなかった。そんな診療の時間が数日間続き、先生自身が絶望感にさいなまれたという。ところがある日、母親は一人でやってきた。そしてキッと顔を上げて、先生に向かって叫んだ。

「先生、分かりました」
「何が分かったの」
「あんなかわいそうな子はいません。めったな夫婦には預けられない。だから、神様は私たちを選んだの」
「先生、そうでしょ?これでいいんでしょう!」
「そうだ、よく分かった。偉い!」

母親は先生の胸に飛び込み、涙でいっぱいの顔を打ちつけた。そして看護婦と3人で抱き合って泣いたという。

話を聞いて、私も思わず落涙。でも、誤解しないで欲しい。先生は、決してお涙頂戴でこの話をされたのではない。絶望から立ち上がった母親の姿は、先生の内に「人間の心の復元力」への信頼を生み、精神科医としての人生を支え続けたのだという。

母親の心の復元力を生み出したものはなんだろう?それは愛だったのだ。彼女は言葉にならない苦悩をくぐり抜けて、自分の苦しみに囚われるよりも、子どものことを考えるに至ったのではないか。自分より、かわいそうな子どものために生きようとする思いが、彼女に勇気を与えたのだ。これこそまさに、自分を超えて相手を思う、愛の本質である。

さらに、子どもは「授かりもの」というが、この母親は「預かりもの」と断言した。先生は「だから大切に育てなければいけない。一家心中の道連れにはできない。そして、いつか親離れ子離れしてお返ししなければいけない」と話した。

彼女は子どもを預かりものと考えることで、自分の所有物ではなく、独立したひとつの命として尊重することを悟ったのではないだろうか。

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