「穴には愛」(早坂あゆみさん #3)

そして、ある日ついにゲスト賞をいただけたのだ。賞を獲れたことよりも、塾長や受講生たちが祝福してくれたのがうれしかった。なかでも一番優秀だった同期生が、フェイスブックにお祝いの言葉を投稿してくれたのを見て、思わず泣きそうになった。

それ以来、友達の成功を素直に喜べるようになったのである。「いいね」もバンバン押した。自分が祝福してもらったのだから、他の人にも同じことをしたかったのだ。

そうして気付いたのである。人を祝うことがこんなにも楽しく気持ちの良いものだったのか、と。人からもらった厚意はリレーのようにバトンタッチして、他の誰かにつなげていくことができるのだ。

ふと、OL時代に遭遇したマウント女子たちのことを思った。彼女たちには、このような人の心と触れ合う経験がなかったのではないか。彼女たちは、愛に飢えた可哀想な人たちだったのだろう。さらに思い起こせば、皆例外なく劣等感が強かった。

特にある女性は、優秀なお兄さんに引け目を感じてきたとよく言っていた。「小さい頃から、兄は私より何でもできて、いつも私を馬鹿にしていたの」。その人自身も、お兄さんと同じように、周りの人を蔑んでいた。そうすることで、自分の心に開けられた劣等感という穴を埋めようとしていたのだろう。

でも、断言する。そんなことをしても、決して穴は埋まらない。それどころか人から嫌われ、ますます穴は広がっていくばかりだ。なぜなら、愛だけが穴を埋めることができるからだ。

私自身、大きな穴が開いていたことに気付いた。子どもの頃から落ちこぼれ。新卒で入った会社では、先輩に「何度言っても分かんないんだから」とため息をつかれた。結局1年で辞めたが、その時上司から「まっ、能力的なものもあるしな」と言われたことが忘れられない。おまけにわがままで人付き合いが苦手。学生時代はクラスで孤立し、いじめに遭う嫌われ者だった。

そんな私が齢50にして、温かい受講生仲間たちの心に触れ、さらにその体験を誰かに返すことで穴が埋められたのだ。しかし、マウント女子たちにとって、他人はすべて心通わせる存在ではなく、競争相手にしか見えないのだろう。それが愛を遠ざけ、自分の首を絞めていることに気付かないのだ。かつての私がそうだったように。

そもそも劣等感は、自分に囚われることで生まれてくる。映画評論家のおすぎがこう語っていた。「劣等感の強い人は、自己中心的な人よね」。全くその通り。そういう人は自分にしか関心がないのだ。深い劣等感は過剰なナルシシズムの裏返しなのである。

マウント女子たちに言いたい。

その関心を、その愛を、自分ではなく他人に向けよう。そうすれば、きっと穴は埋まる。

「穴には愛」。ちょっとエッチな言葉に聞こえるかもしれないが、私はこれを座右の銘にして生きていきたい。

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