それは、意志的な誤解ではないか(早坂あゆみさん #1)

しかし、それで人間関係を絶ってしまうのは、人生の損失と言える。こう思うに至ったのも、大林監督の言葉に打たれたからである。監督は著書『大林宣彦の体験的仕事論』で人との付き合い方について語っていた。

「人はみな違い、なかなか理解し合えないもの。だったら『あなたは良い人だ』と誤解して近づいていった方が面白い。きっと傷つけ合うけどそのほうが豊かだ。その上で愛を覚えればそれが人間の賢さ」。

そう、人は違っていて当たり前。自分の価値観が正しいとは限らず、絶対の基準でもない。異なる考えが、視野を広げてくれることも多い。何より、完璧な人間なんていない。自分にだって、嫌なところや欠点はたくさんある。

愛とはなんだろう?

それは、どんな相手でも深く知ったうえで、違いや欠点もその人ならではの魅力として解釈し受け入れることだ。

「好意的な誤解」や「無自覚の誤解」のように自然に生まれるものではなく、努力してその人を実際以上に良く見ようとする「意志的な誤解」。それが愛ではないだろうか。

「誤解と知りながらも、良く誤解すること」と言い換えてもいい。愛は知性に裏打ちされた、意志の行為なのである。

多様性の尊重が盛んに叫ばれている。もちろん望ましいことだけれど、共生社会は決して楽ではない。むしろ、今よりずっと厳しいものだろう。異なる個性を持つ人々がぶつかり合い、譲り合いながら一緒に歩んでいかなければならない。だから、愛から学ぶ必要がある。険しい道にこそ私たちの愛は試され、鍛えられていくのだ。

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