足を運ぶ(ふつうエッセイ #294)

昨日、こんなエッセイを書いた。

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こんなにも暑い日が続くと、出不精になる。

出不精になると、世の中の動きに鈍感になる。だいたい今や、テレビやインターネットでほとんどの情報は得ることができる。だが、外出することで初めて体感できる価値は確実にある。

先日、仙台に足を運んだ。友人が関わっているイベントに参加するためだ。

仙台は2回目。前回は仕事で訪ねたのだが、時間の関係でほとんど街を散策することができなかった。今回も時間は限られていたのだが、ランチタイムに少しだけイベント周辺を歩くことができた。

そこで、仙台には喫茶店が多いと気付く。仙台駅から少しだけ外れたエリアだったのだけど、100メートル置きに喫茶店があるようなイメージだ。2つほどのお店に入ったが、どちらも雰囲気が異なる。コーヒーを媒介にして、仙台のユニークな空気を感じることができた。

このように、わざわざ移動を伴いながら、新しい体験を得ようとする人は多い。

小さな個展に参加するために、わざわざ新幹線に乗って東京に来たという話も聞く。個展を開催するような作家は、今日び、ほとんどInstagramで作品を公開しているだろう。それを常日頃追っかけていけば、だいたいの作品はチェックできる。

でも、やはり本物の絵は、色感が全然違うわけで。

そればかりは、実際に足を運んで、自分の目で確かめてみるしかない。

そういう価値を、大切だと思う心をちゃんと持っていたい。僕にとっては、それが「ふつう」の感覚なのだから。