Red(ふつうエッセイ #119)

夏帆さんが主演の映画「Red」を観た。

俳優陣の演技も素晴らしかったし、監督を務めた三島有紀子さんの視点にも引き込まれた。いわゆる「不倫」がテーマの作品だが、生きるとは何か?という問いに真摯に向き合った作品だ。

noteにも感想を書いた後で、いくつか作品のレビューを読んでみた。

概ね好評のレビューが並ぶ中で「脚本が残念、登場人物の心情が分かりづらい」というようなものがあった。

確かに、作品は時間軸がバラバラだ。過去〜現在〜未来を行き来するため、登場人物の心情変化は直線的には描かれない。そういった演出には好き嫌いがあるので、書き手の不満はいちおうは理解できる。

一方で「もっと丁寧に、登場人物の心の変化が描かれるべきだ」という意見には首を傾げてしまう。やり過ぎてしまうと説明的になってしまうし、何より、観る側の想像力が喚起されなくなってしまうからだ。「どうして鞍田は、再会早々に既婚者である塔子にキスをするのか」というのは唐突であるものの「どうして」を突き詰める余地が、解釈が、受け手に委ねられているのだ。

僕は、そういう映画が好きなのだ。

ただ考えてみれば、映画監督や脚本家にとって、受け手に解釈を委ねるというのは非常に勇気が要ることのように思う。多少の誤読ならまだしも、想定しない方向へミスリードされてしまうと、作品そのものに不満を感じさせてしまうからだ。

作り手は誰しも、観客をエンターテインさせたいもの。

リスクをいくぶん背負いつつ、作品の完成度に舵を切る。なかなか簡単にできることではない。

そういう点からも「Red」は面白い映画だった。三島有紀子さんの作品は、どれもゆったりとした余白があり、僕はそこに惹かれ続けていくのだろうか。