最期には、何かしょうもないフレーズを、次の世代に残すくらいがちょうどいい (片山壮平さん #4)

長生き、というと、誰もがそれを望む。おじいちゃんおばあちゃん長生きしてねと、孫は言う。私もそうだった。そして、祖母の場合は100年以上生き、天寿を全うした。結果、両親を始め私達家族は、本来であれば目のあたりにすることがなかったはずの、家族という関係性の「限界」が、リアルに訪れる瞬間に直面してしまった。これだけ切り取ると、大変不幸なことだと思う。祖母を叔父のところに引っ越す話をする時、父は「血の繋がり」という今まで何ら根拠としてこなかった関係性の裏付けを持ち出し、本来なら祖母は叔父が介護をすべきところだから、あるべき姿に戻ったのだと語った。しかし一方で、私が理解している彼の本音は、自分で最期まで看取りたかった、ということだと思う。そういった考え方は彼の生き様だったし、実際私は父がその生き様を曲げたのを見たことがなかった。ただ今回は、理想を押し通す限界が、時間の長さによってやってきたということと理解した。

最晩年の3年ほど、祖母は関西で暮らし、永眠した。墓石に刻まれている齢は、実に104歳となっていた。

「もらえるものは 夏のお薬」

祖母が何かプレゼントを受け取った時に格言のように口にしていた言葉だ。解説してもらえることはなく、「夏のお薬ってなに?」と本人に意味を問うてもいたずらっぽく笑うだけだった。後に、孫である私達姉兄弟の間で流行って、大して欲しくないお菓子とかを流れ上受け取った時など「もらえるものは夏のお薬て言うからなあ」と神妙に押し頂いていた。
実はこの格言は三部構成になっていたのだが、つい最近姉と話しながらそれを思い出した時、お互い思わず破顔したことがあった。

「もらえるものは夏のお薬。心経は繰るほどありがたい。タオルがあれば分限者」

姉と私の間で、この三部構成が、祖母そのもののように思えたことが、今でも笑ってしまう要因だと思う。「昔は夏に薬のストック効かなかったんかなー」とか(実際は知らない。だって解説してくれなかったから)、「おばあさん、お坊さんか!いうくらい般若心経を毎日繰っていたなあ」とか、「タオルさえあれば豊かみたいな「足るを知る」的な価値観はおばあさんぽいなあ」とか、取り立てて良いことを言っているわけではないんだけど、それでも合言葉のようにこれを口にすると、いろんな祖母のことが想起されて、心温かくなる。

これから自分は、と思うと、当然どうなるかわからないけれど、思い通りに行かないことだらけであることは前提にした上で、父と祖母のような生き方をしたいと思う。筋を通すということに真摯に向き合いながらも、最期には、何かしょうもないフレーズを、次の世代に残すくらいがちょうどいい。

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あい【愛】
人や物、または行為に向けられた感情の流れ。それはポジティブな結果もネガティブな結果も招くが、いずれの場合にも必ず何かが残って、続いてゆく。自分に対して正直であることが大事。消えない。

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