うんちが教えてくれた、自分を愛するということ(李生美さん #3)

快便を手に入れて、心地よい日々を送っているうちに、自然と自分の中から発せられる声に耳を傾けられることが増えていった。
夜更かしをしてしまう時は、だいたい嫌なことがあった日だと気づくようになった。それからは夜更かしに片足をつっこんでいると、何か嫌なことがあったのかと自分に聞くようになった。何が嫌だったのか。なぜ嫌な気持ちになったのか。自分の気持ちに蓋をするのではなく、あれかこれかと自分に問いかけながら、嫌な気持ちを因数分解していく。その原因を探りあてることができると、悲しい気持ちをしっかり受け止められた。他人に期待する前に、自分で自分を慰められるようになっていった。

人に流されることはまだまだある。だけど相手に自分を預けることなく、自分の気持ちに従って選んだことであれば、みじめな気持ちになることはなくなった。

人は、自分が満たされてはじめて、他人に与えることができる。と、いう話を聞いたことがある。
自分のコップの中の水が半分であれば、それを人に与えることはためらわれる。与えたところで、その分の見返りを求めてしまう。コップに溢れんばかりの水を得た時だけ、無償の精神で人に与えることができる。

これまでは、人から与えられた水を、すぐに飲み干してしまっていた。自分で渇きを癒すことを知らなかったからだ。これからはやっと、人に水を与えられるのかもしれない。

人に与える愛は、自分への愛から生まれる。

だからこれからも、自分の体と心に耳を傾けながら、よき快便ライフを送っていきたい。

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