神さまとの間に愛は存在するのか。夜の伊勢神宮で5分間「ありがとうございます」を唱え続けた話(李生美さん #2)

「中国語の部屋」というAIのチューリングテストに反論する思考実験がある。
中国語がわからない外国人が部屋にとじこめられ、部屋の小窓から中国語で書かれた質問用紙が差し出される。それに対して、部屋にある中国語のマニュアルを見ながら、適切な中国語の答えを書いて返すミッションがあるとする。マニュアルには、この字形が書かれた紙を差し出されたら、この字形を書いて返すようにという指示が書いてある。中国語の意味がわからずとも、形だけで判断をして回答をしていくと、部屋の外にいる質問者たちは、中にいる人は中国語を理解していると判断する。しかし実際は、中国語を知らない外国人が部屋の中にいる。この外国人は中国語を理解しているといえるのか?という問いを突きつける実験である。

わたしにとっての「ありがとうございます」が、完全に中国語のそれになっていた。もちろん「ありがとうございます」の意味は知っている。でも夜間参拝において、神さまに唱える意味をまるっきり理解していなかった。何に感謝しているのか。なぜわたしは「ありがとうございます」を唱えているのか。訳がわからないまま、ただ形をなぞっているだけの5分間はずっと居心地が悪かった。

「ありがとうございます」のさざめきがやみ、最後に一礼をして夜間参拝は幕を閉じた。

本殿からの帰り道、今のわたしには神さまとの間に愛は交わされないことを悟った。日々の暮らしに感謝し、トイレ掃除を毎朝欠かさずおこない、臨時収入があるときちんとお礼参りにいく。そんな日々をコツコツ積み重ねた人だけが、本当に感謝の気持ちを伝えることができ、神さまの恩恵を受け取れるのだと。
神さまとの関係を築く前に、いきなり言葉だけの「ありがとうございます」を伝えても何の意味も成さない。

伊勢神宮に行く前に足が腫れたのは、普段の積み重ねなしに、イベントに乗じてご利益だけにあやかるべきでないというお達しだったのかもしれない。帰ってから夜間参拝についてちゃんと調べてみると、小林正観さんの本を3冊以上読んでいることが参加資格だった。そういえばお母さんから本を渡されていたけど、読んでいなかった。わたしは伊勢神宮に呼ばれていなかったのだ。

こちらから与えなければ愛はかえってこない。もらってばかりではそれは愛とは呼ばない。天国へ持っていけるのは、人からもらったものではなく、人に与えたものだけと言っていたのは、誰だっただろう。

日々の積み重ねで、神さまとの関係を築いていくしかない。という決意のもと東京に帰ったが、毎朝のトイレ掃除は二日で終わった。先はとてつもなく長い。

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