馴れ初め(ふつうエッセイ #257)

息子が保育園に通うようになって、他の園児の父母と親しくなった。

彼らに対する印象は「〜〜くんのお父さん」「〜〜ちゃんのお母さん」から始まる。「〜〜くんのお父さんは優しい」とか、「〜〜ちゃんのお母さんはちょっと取っ付きづらいけど親切」とか、彼らへのイメージは、子どもを経由して形成されている。逆にいうと、「子ども不在」での印象を持ちづらい。子どもを経由しないためには、新たな交流によるイメージ・アップデートが必要になる。

コロナ禍でなかなかリアルな交流はできないため、彼らの「素」の姿を見出すのは難しい。ありがたいことに家に招いてくださったこともあるけれど、例外なく子どもも一緒だ。コロナ禍がなければ、親同士で呑み交わすこともあったかもしれないが、それはもうちょっと先の未来になりそうだ。

とはいえ、彼らとどんなことを話せば良いんだろうか。

仕事の話だろうか。それとも趣味や特技の話だろうか。

友人と同じように、しょーもないことで笑い合うことができるのだろうか。

*

少し前に、自転車でコワーキングスペースに向かう道中、ふと「馴れ初め」という言葉が頭に浮かんだ。

カップルには、誰しも固有の馴れ初めが存在する。仮に、出会ってすぐに付き合いが始まったとしても、出会った瞬間が馴れ初めになる。

どこからどこまでを馴れ初めと呼ぶかは人それぞれであり、そこに健全な愛が詰まっているかさえケース・バイ・ケースだ。だけど馴れ初めには、語られるに足る物語の強さがあるような気がしてならない。

僕はコミュニケーションベタなので、どんな人にも馴れ初めを聞けるような態度を持ち合わせていない。「どんなふうに知り合ったんですか?」なんて、よほど付き合いが深くならない限りは尋ねられそうにない。

でも、本来は逆なのだ。

その人や夫婦のことをあまり知らないからこそ、馴れ初めを聞くべきで。そこから彼らがどんなことを考えているのか、どんな価値観を有しているのか見えてくるはずなのだから。

馴れ初めに、面白い、面白くないなどの優劣など存在しない。彼らが語るかもしれない物語を想像するだけで、僕の口の端はちょっと緩んでしまうのだ。