頭を抱えるとき。(ふつうエッセイ #527)

僕はこれまで、同僚に恵まれてきた。

能力は人それぞれだったけれど、何より、どの現場でもやる気に満ち溢れている人が多かったように思う。飲み会では「仕事なんて生活のためだよ!」なんて放言していた先輩もいたけれど、仕事になると、誰よりも真面目に取り組んでいた。

前職では若手社員が多かったけれど、総じて意欲が高かった。若手社員ということは、知識や能力が十分ではない。議事録を書いてもらっても「もうちょっと読みやすく頼むよ……」なんて思うことも、しばしばあった。

だけど、そこにはちゃんと「伝えたい」という意図があった。

意図があれば、その意図を阻害している要因を整理して、「ここと、ここと、ここが伝わりづらいんじゃない?」とアドバイスすることができる。それが先輩社員としての役割であって、若手社員と多くの時間を接することで、自分の言語化の力も高まったような気がする。彼らがどう考えていたのかは分からないけれど、僕はWin-Winの関係だったと思っている。

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仕事において、頭を抱えるのは、相手の意図が見えないときだ。

メールひとつとっても、「これは何の目的で送っているのだろう?」というのが分からなければ、何も対処ができなくなる。

意図を伝えるのは、能力とは別のところにあったりする。ビジネスパーソンとして超優秀で、成果もバリバリ出している人が、全く意図の伝わらないメッセージを出したりする。もちろん経験が浅く、目的や意図などを考えられずに「ただ発信する」ということもあったりする。

いずれにせよ、相手の意図が見えないとき、僕は真剣に頭を抱えてしまう。

どうすりゃ良いんだ、と途方に暮れる。あなたの課題は何なのだ。そう聞きたいけれど、物理的に聞けない夜もあって。そんなときは眠りに就けば良いのだろうけれど、困っちゃうことに、意図の海に飲み込まれてなかなか眠れなかったりするんだよな。

意図をくれ。

そういえば、我が社の名前も、TOITOITO(問いと意図)だ。