肉を焼く(ふつうエッセイ #99)

久しぶりに家族で外食をした。

久しぶりに、と言っても、これまでも近所のラーメン屋さんに行くことはあった。気軽に食べられるラーメン屋さんを「外食」と呼ばないのは邪悪な意図があるわけではない。賃貸住宅で暮らしている僕の家庭において、徒歩10分以内の食事は「庭」のようなものだと感じているからだ。

ラーメン屋さんの店員と顔馴染みではないけれど、いつもの店のいつものメニューは安心できる。どこで食べても変わらないチェーン店の牛丼やマクドナルドのハンバーガーのように。そういう安心感は、コロナ禍という不安定な日常において心の支えになっていた。

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さて、外食のことだ。

少しうんざりする出来事があって、夫婦ともに疲弊していた。

憂さを晴らす必要があったが、既に時刻は15時を回っている。どうしたものか、と考えていたときに「美味い肉を食らおう」という発想になった。

幸いなことに、地域で使えるクーポン券があって(クーポン!)、それが使えるお店を探して電話予約(電話!)。自宅から2つ隣の駅まで足を運んだ。

インターネットで美味しそうだということは分かっていたが、初めてのお店で、どんな食事を楽しめるかは分からない。外食とは、そういったスリルがつきものなのだ。普段の食事よりも高めの価格帯、美味しくなかったらどうしよう……という不安を抱えながら肉を焼く。

めちゃくちゃ美味かった。

肉って、美味いんだなあ。

語彙力が大変乏しくて恐縮だが、外食をして心が充足するような感覚になったのは久しぶりのことだ。

子どももいたので彼らも見守りながらだったけれど、肉を焼きながら会話を楽しむ。感染状況がある程度落ち着き、かつ感染予防対策がなされていた状態だったこともあり、リラックスしながら時を過ごすことができた。

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食事とは、「何を食べるか」ということだけではない。

どこで食べるか、誰と食べるか、いつ食べるか。適切な5W1Hが揃えば素晴らしい食事になるし、どれかひとつでも欠けたら雰囲気が損なわれる。

そういった意味で、昨日の夕食は「完璧」だった。

また行こうと思う。元気になりたいときに。