東方とか、北方とか(ふつうエッセイ #136)

ちょっと恥ずかしい話をば。

幼少期、僕は、福島県の喜多方ラーメンのことを「北方ラーメン」と誤解していた。

栃木に住んでいた僕にとって、福島県は「北の方」に位置しており(それは間違っていない)、そこで作られたラーメンだから北方ラーメンであるというロジックだ。福島県喜多方市に住まれている方、どうかお許しいただきたい。

そんな僕も大人になり、本当の北方に巡り会う機会が増えてきた。

例えば、佐賀県武雄市の井手ちゃんぽん本店。九州北部では有名なちゃんぽんのお店だが、本店は、武雄市北方町というところにある。

ちゃんぽんといえば、隣接する長崎県が有名だが、なかなか井手ちゃんぽんも美味である。スープは濃厚なとんこつ味だが、口当たりが抜群に良い。野菜をたっぷり食した後に出てくる太麺は柔らかく、蕎麦のようなつるっと感もあって、個人的にめちゃくちゃ好みのお店だ。

さらっと武雄市北方町と書いたが、栃木県出身東京都在住の僕にとって武雄市北方町は、「北方」ではない。どちらかといえば佐賀県も武雄市も南の方、あるいは西の方であるという認識だ。

だいたいの地名は、昔の人たちが時間をかけて呼んでいた通称であり、それが、いつの間にか正式名称になっていることが多い。昔の人たちの生活圏、経済圏とは、徒歩で行ける範囲である。彼らにとっての中央とは、生活圏における真ん中のことであり、そこが起点となって北方、南方、東方、西方が設定されるというわけだ。

かつて武雄市あたりに住んでいた人にとって、東京なんてどうでも良い存在だったのだろう。「将軍さま」が住んでいるらしいが、その姿を直接拝む機会は皆無。本当に存在するかどうかさえ、怪しかったのではないだろうか。

そう考えると、今は、生活圏や経済圏がぐーんと広がっている。個人差はあるものの、自分が住んでいる地方くらいのレベル(関東地方とか、東北地方とか)は、自分ごととして認識できるようになっているのではないだろうか。

個人差はある、と書いたけれど、もしかしたらこの「差」は知識水準の格差にも繋がってしまうかもしれない。

たかが東方、されど東方。

自他の現在地を、残酷なほどに炙り出す基準になり得るものなのだ。