テレビはラジオ代わりに聴けるのか(ふつうエッセイ #65)

ひとり創業は、良くも悪くもコミュニケーションの機会が少ない。

ただ音楽やラジオが好きな僕としては、終日イヤホンをして、好きなものを聴きながら仕事ができることはとても幸せなことだと思っている。

と言いつつ、会社員として働いていた最後の1年間、業務はリモートワークになっていた。なのでイヤホン生活はずっと続いているのだが、何を聴くかに関してはずっと模索している気がする。

前提として、

当たり前だけど仕事に集中しなければならない。それも極端に集中する必要がある。集中力が欠けると業務の手が止まったりミスが増えるばかりでなく、質に影響が出てしまう。高いアウトプットをするためには適切なBGMとして、音楽やラジオを選ばなければならない。(音楽を流すことは仕事効率を高めるという研究結果が出ている。もちろん個人差はあると思うが)

やってみて、どうしてもダメなのがテレビの音声をラジオ代わりに聴くことだ。どうしても耳にとって、集中力を妨げるようなノイズになってしまう。何故だろうか。(同じお笑い芸人が出演しているラジオはノイズにならない)

色々理由はあるのだろうが、テレビは「画面を観る」ことを前提としたメディアだからだと思っている。話者のトーク力だけでなく、表情や仕草などを加えた上で、テレビとしてのコンテンツが成立するのだ。もちろんそれ以外にも、BGMや笑い声、テロップ、ワイプの移り変わりなどが編集で付け加えらえれる。常に各シーンにおいて「面白い」絵が使われるので、視聴者は飽きずに番組を観続けることができるのではないか。

ラジオは、たぶん飽きても良いと思われている(ような気がする)。

ずっと飽きずに聴くこともできるけど、ラジオはたぶん、そこまでリスナーを信用していない(良い意味で)。

勉強や仕事をしていたり、車を運転していたり、電車に乗っていたり。そもそも「ながら」の状況で流されているから、番組内で適度に「穴」のような間の抜けた時間がある。ラジオに慣れていないパーソナリティだと、間があることに恐怖感があり埋めるように話を繋げていくのだけど、それはそれで息が詰まってしまうようなテンポ感になってしまう。この辺の塩梅は非常に難しいが、お笑いコンビ・オードリーの掛け合いを見ていると、パジャマでも着ながら話しているような気楽さを感じるのだ。

テレビは、そういった間の抜けた時間を許さない。秒単位で「飽きさせない」仕掛けを繰り出していく。だから聴きながら、耳がどうしてもテレビの方に持っていかれてしまうのだ。

という仮説ですが、リモートワークな皆さん、どうなんでしょう。