柱(ふつうエッセイ #252)

大黒柱とか、精神的支柱とか、「柱」に関する言葉のいくつかは日常生活にも派生している。土台とかも。

柱は真っ直ぐだ。太く、しっかりしている。

だから、「柱」というものの価値が憧れのようなものへと昇華していったのではないだろうか。

いまは、どうだろうか。

建築を含め、デザイン全般の言葉が日常で使われるようになったような気がする。それは「デザイン」という言葉も含めて、だ。

汎用性が高く、どんなものにも柔軟に対応できる便利な言葉。

太さよりも、柔和なイメージが時代と合っているのかもしれない。

デザインを職業にしている人には怒られそうだけど、でも、デザインという言葉にはどことなくシステマチックな響きがある。情緒を切り離し、機能をどこまでも追求したような。

将来は、どんな言葉が使われていくのだろう。そもそも、言葉というのは存在し得るのだろうか。ユートピアもディストピアも関係なく、そのことを真剣に考えてみたいと思った。