ゼロサムゲームに抗って(ふつうエッセイ #64)

参加者の得点と失点の合計の値が「0(ゼロ)」になるというゲーム理論がある。経済理論の1つだが、色々な物事に転用されることがある。

あいつが得すると自分が損するとか、あの会社が利益を得ると他の会社が損失を被るとか、嫉妬や羨望などの人間心理と紐づくことも多い。

でも、もちろんそんなことはない。

例えば何かの文学賞であれば、文学賞を授賞する作家の数は限られる。授賞した作家には名誉と共に、今後の仕事も増えていくだろう。その得点(幸福)は計り知れないものの、授賞しなかった作家の失点(不幸)の上に立つものではない。授賞しなかった作家も別の機会を得ることはあるだろうし、作家以外の職業で幸せになることだって十分あるだろう。

色々な対立軸と混ざってしまうから、得点(幸福)の総量は有限だと錯覚してしまう。それを奪うことに躍起になってしまって、得点(幸福)の総量を増やすことに目がいかなくなってしまう。それこそ失点(不幸)だと思うのだ。

僕は仕事を通じて、いやもっと生活全体を通じて、幸福の総量を増やしていけるような人間でありたいと思う。ゼロサムゲームやゼロサムゲーム「的な」社会には断固抗い、ひらひらと舞い散る機会を拾い集めてみたい。