明けまして(ふつうエッセイ #118)

2022年になりました。

明けましておめでとうございます。

と、当たり前のように新年の挨拶をする中で、この「明けまして」って、どういう意味なんだろう?と思いました。インターネットで検索するなんて野暮なことはせず、自分の頭で適当な解釈を試みます。

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明ける。

日と月がくっついた言葉。日=陽、月=陰の両方を併せ持つ言葉だ。

昔は、現代と違って、争い事が絶えなかった。生活も苦しく、四六時中、食べ物やお金の心配をしていた時代だ。明日死んでしまうかもしれないという不透明な先行きの中で「夜が明ける」瞬間は、ひとときの安心をもたらしたことだろう。

加えて、正月くらいは、陰と陽も混ぜにして祝いたいもの。1日くらい嫌なことを忘れても良いじゃないか。

明けること自体に価値がある時代だ。とりわけ年を明けることができるのはめでたいことに決まっている。

だから「明けまして」なのだ。

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という、解釈。いかがでしょう。

想像も、妄想も、願望も、これくらいの粒度で披露していけたら、2022年は軽く跳躍できるんじゃないかなと期待しています。

知性も感性も、鼻息荒くでなく、「ふつう」でありたい。

「ふつう」と書いているけれど、いつか「」を外してみたい。

何となく息巻いている元旦ですが、今年もWebサイト「ふつうごと」をよろしくお願いいたします!