餃子をめぐる冒険(ふつうエッセイ #681)

皆さんは、餃子に何をかけるだろうか。

醤油と酢とラー油だ、と答える人が多いが、日本で餃子消費の1,2位を争う宇都宮市では、ちょいと事情が異なるようだ。

ときどき誤解されるのだが、栃木県全域で餃子が消費されるわけではない。僕は大学生になって首都圏に移り住んだわけだが、よく「餃子の栃木だよね?」なんて言われていた。違う。餃子は宇都宮市民だけの文化である。僕は県南の小山市の出身だが、餃子が食卓に並ぶのはそれほど多くなかった。まして外食で餃子「だけ」を食べる機会なんてない。高校で宇都宮まで通学したとき、冗談でなくカルチャーショックを受けたものだった。

高校の先輩と昼食をともにするため、餃子専門店に入る。そこで彼が問うた。「餃子に何かけるの?」と。

もちろん醤油だと答えると、分かったないなという顔をされた。彼曰く、餃子にかけるのは、醤油1割、酢9割の配分での調味料だそうだ。まじか。でも先輩は美味そうに食べている。試しに僕もそれに倣ってみたら、確かに美味いのだ。美味い。それから僕も餃子といえば酢、という感じになった。

高校を卒業し、大学、社会人になって今に至る。そして先日、餃子を家で食べた。高校時代のエピソードを思い出して、酢中心の調味料で食べてみる。(いつの間にか、すっかり醤油ベースの味付けに戻っていた)

なんだこりゃ。

思わず顔をしかめる。不味い。

酢中心で食べるなんて、正気の沙汰ではない。でも、あのとき食べた味は今もありありと記憶している。餃子の味が違うのか、それとも特別な酢が提供されているのか。真実は分からない。時計はもう過去には戻らないのだ。

味覚は変わる。でも思い出は変わらない。いや、変わる思い出もあるだろう。

それでも、高校時代に食べた、食べに食べた餃子の味は褪せることはない。成長期の僕のパワーフードだった。

餃子があるから、今の僕がある。なんてことはないけれど、あのとき食べた餃子の一部が身体に残っているような気は、確かにするのである。