テレフォン・ラブ(ふつうエッセイ #682)

むかーし、むかし。

僕にも青春という事象が自分ごとだったとき。とても好きだった女性と付き合ったことがあった。喋ったことがなく、「あの子好きなんだよね」と友人に言ったら、間を取り持ってくれた。返事はまさかのOKで、まずは電話であれこれと喋ることにした。

無口だと思っていた彼女は、とても饒舌で、テレフォンカードはすぐに残量を減らしていった。僕と話すときの彼女は楽しそうだった。本当に楽しそうで、本当に付き合っているのだと錯覚していたんだけど、それは幻で、とあるイベントの前に別れを切り出された。

あれは、一体なんだったのだろう。

あのモヤモヤの正体がようやく分かったのは、つい最近のこと。カフェで近くにいた女性が、大きな声でマルチ商法の電話をしているのを耳にしたときだった。優しく、時に高圧的に、電話口の相手に向かって語りかける。女性にとって、そのとき彼女に見えていたのは電話口の相手だけ。周囲が迷惑を感じていることなど全く見えていない。彼女が積み上げる言葉の全てが嘘で、延々とセールストークを繰り返していた。セールストークを繰り返していても、何も感じていないようだった。だって、それが彼女のいる世界だからだ。

そのときに強烈なデジャヴュを覚えたのは、まさにこの女性は、僕が恋した彼女だったのだ。たぶん。そうでないと説明がつかない。彼女は音符を撫でるように、嘘を吐き続けた。いや、嘘ではない。ただの言葉だ。彼女にとって言葉とは音符と同じ、叩いたら消えるものなのだ。彼女はおそらく、そのとき喋った言葉などすぐに忘れていただろう。「同級生とお喋りする」という練習だったのかもしれない。

今はテレビ電話もあるけれど、相手の顔が見えないテレフォン・ラブには危険がいっぱいだ。恋は盲目、まさに正体不明の怪物と僕は話し続けていたのかもしれない。

でも、僕も似たようなことをやっていた可能性はある。

その彼女にとっては僕も、怪物のように映っていたのではないか。バカだなあ、と嘲笑されていた方が、まだ救われる。救われないのは、僕が怪物だと見做されていた世界線であり、その可能性がゼロでない限り、僕は償いのために社会奉仕に励まなければならないのだ。