昔の映像(ふつうエッセイ #496)

長男のウルトラマンブームが白熱している。

最新作「ウルトラマンデッカー」を中心に視聴しているのだが、フィギュアや図鑑などで1960〜1970年代に放送されたウルトラマンにも興味を持ち始めているのだ。

最近入手したのは、ウルトラマンレオのフィギュア。実のところ、僕もウルトラシリーズの中で、レオが一番好きで。息子たちと一緒に、久しぶりに配信で視聴することにした。

ウルトラマンレオは、1974〜1975年に放送されていた作品だ。いまから50年前の作品ということで、当然ながら映像は粗い。ストーリーの展開も、特撮の感じも、セリフの一つひとつも、現在のヒーローものとは大違いだ。

だけど全編を通じて感じるのは、「受け手を侮っていない」ということ。当時の技術のあらん限りを通じて、迫力ある映像を作ろうと奮闘している。だからこそ、当時の子どもたちはウルトラマンに熱狂したのだと思うし、1984年生まれの僕も、レオを好きになれたのだろう。

映像や物語の粗さは、作品の強度とは比例しないのだろう。それが良く分かった。(ちなみに、ウルトラマンレオの初回は結構面白かった。怪獣を倒す前に1話目が終わってしまい、2話目も課金しなければならないので頭を抱えている)

もちろん、ノスタルジー消費に独りごちているわけではない。

いまの作品だって、優れているものは山ほどあるわけで。逆に昔の作品だって、作り手が手を抜いているものはいくらでもあるだろう。

作品の善し悪しの判断基準は人それぞれで何の問題もない。だけど、僕個人の審美眼は、常に磨き続けていたい。良いものは良い、悪いものは悪い。そう判断できる、健全な批評精神は持ち続けていたいと思うのだ。