マスクを外す(ふつうエッセイ #279)

コロナウィルスの感染拡大が落ち着いている。

世界中がさまざまな問題で揺れている中で、「久しぶりの平穏」なんて言葉はお気楽な姿勢なのかもしれない。でも公園や喫茶店で、なんでもない日を楽しんでいる人たちを見ていると、ああ、この感じがずっと続けば良いのに……と願いたくなる。

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さて、僕たちはいつマスクを外せるだろうか。

僕も含め、いろいろな人が好き勝手話しているが、どうもソフトランディングしかなさそうだ。たとえ行政のリーダーが「マスクを外しても良い」と言ったとしても(言えないだろうし、言うべきでもないと思うが)、これだけ恐怖心が広がったなかで、容易に人々が行動変容することはないだろう。

僕たちが抱える集団心理を否定するつもりは毛頭ない。だがひとつだけ、「海外ではもう誰もマスクをしていない」というコメントを見るにつけ、なんて一方的なロジックだろうと憤ってしまう。

当たり前の話だが、日本と海外では考え方が異なる。(日本国内でも、地域によって文化が違うように)

コロナ以前でも、日本では、冬にはみな当たり前のようにマスクをつけていた。しかし海外では、マスクをつけること=失礼であるという傾向が色濃い。個人の自由に対する考え方、成熟具合も全然違うのに、それらを無視して「未だにマスクしているなんて、日本人はおかしいのでは?」というのはかなり乱暴だろう。

マスクを外す前に、思い込みのストッパーを外したらどうか?

それは自戒も込めてなわけだけど、つくづく思うに、マスクを外すよりも大事なことが、この国にはたくさんあると思うのだ。

嘆いてばかりでは始まらない。僕も小さい範囲の中で、なにかできることを考えていきたい。