孤独と孤高(ふつうエッセイ #258)

岸見一郎さんの近著『孤独の哲学』を読んだ。

詳しくはnoteに感想を書いているので、そちらを読んでいただきたい。

第一章に、三木清の著書『人生論ノート』の引用があった。

いわく「すべての人間の悪は孤独であることができないところから生じる」のだという。

なんと核心をついた言葉だろう。

*

不正とまではいかないけれど、僕もかつて、孤独を恐れて周りに迎合したことがある。それが会社員のあるべき姿だという圧力もあって、(少なくとも僕にとっては)正しくないと思う道を選択してしまった。結果的に、実行に移る前に問題は解消されたのだけど、あの「圧力」のことを思い出すと未だに腹立たしい。圧力をかけた人に対しても、自分に対しても。

要は、ばかやろー!って言えるかどうか。

いやあ、なかなか、ばかやろー!なんて言えない。

周囲を見渡すと、ばかやろー!と言っている人たちは、極めて厳しい戦いを強いられているような気がしてしまう。でもそれは孤独でなく、孤高という言葉の方が相応しい。

でも、もしかしたら、世の中の多くの人たちは、腹の底から、ばかやろー!って言いたいかもしれない。言いたいけれど、言えないだけ。あのときの僕と同じように。

ばかやろー!って言いたい。言えるような説得力を持ちたい。

とはいえ、力というのは諸刃の剣だ。

ばかやろー!って言える立場になったら、逆に、ばかやろー!と言われてしまうことも増えてしまうかもしれない。ああ、世の中、うまくできているなあと思う。

孤独と孤高の旅は続く。

ばかやろー!までは言えなくても、ばかにしないでよと予防線を張りながら、自分の持ち場を粛々と育てていきたい。