「すぐに」に弱い(ふつうエッセイ #278)

「今すぐ効きます」

そんな宣伝文句には注意している。

何らかの痛みや不具合を抱えていれば、すぐに状況を改善させたい。その気持ちは痛いほど共感できる。そんな状況の人たちにとって、「すぐに」「今すぐ」というのは魔法の言葉に感じられるだろう。

でも、実際は悪魔かもしれない。

極端な例を引くが、かつて深夜まで残業するのが普通だった時代において、「24時間戦えますか」は確かに強力なキャッチコピーだっただろう。この飲料水に関わらず、栄養ドリンクのカテゴリに入っているものたちは、そうやって極限まで疲弊していた人たちの背中を押し続けた。

プラセボ効果のようなもので、栄養ドリンクを飲んで「元気になった」気分になることもあろう。だが、身体というのは正直なもので、疲労や疲弊はどんどん積み重なっていく。適度に「抜」かない限り、後になって皺寄せがきてしまうのだ。

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「すぐに」は、どうだろうか。

学力に劣等感を抱いていた子どもが、通信教材に取り組むことでみるみる成績をあげていく。その自信がスポーツなどにも繋がる。好きだった異性と恋人同士に「なれちゃう」かも。

そんな夢を見させてくれる通信教材が、果たして「本当は」どれほどの効果があるものだったか。当時子どもだった世代は、その真実を理解している。

広告や宣伝(広報も含む)が、相手に「伝える」手段であることは疑いない。よほど顧客に信頼を得たプロダクトでない限り、ある程度のプロモーション費用をかけないと、潜在顧客に届けることができない。その競争は、時代が変わっても、手段を変えながらしつこく継続している。

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「伝える」ことに、熱心になるのは構わない。

でも、それが過剰になったらダメだろう。まずは過剰になっていないか自覚的になるべきだと思うが、もしも過剰だと自覚しながら「伝える」手段に執心していたとしたら救いようがない。

「すぐに」に、僕らは弱い。

自衛にも限界がある。だから「すぐに」を使いたい人たちは、ゆめゆめ相手のコンプレックスにつけ込むような真似だけはやめるべきなのだ。