それっぽい声(ふつうエッセイ #477)

アフレコ(アフター・レコーディング)は、おそらく難しい仕事だ。

特に日本語以外の言語で喋っている映像に対して、日本語をアテるのは、なかなか難易度が高い。

先日クリスマスだったこともあって、久しぶりに「ホーム・アローン」を観ていた。「ホーム・アローン」に関しては吹き替え版で楽しむことにしているのが、久しぶりに観た吹き替え版「ホーム・アローン」は、吹き替え音声が、俳優たちの喋りに全く合っていなかった。当時はあまり気にしていなかったのに、1990年代の吹き替え版のクオリティは、やはり現在と比べるとかなり低かったんだなあと感じてしまう。

しかし、俳優の顔に合わせて、それっぽい声をアテるのも大変なことだろう。よほど予算をかけて吹き替えに力を入れるなら話は別だ。キャリアのある声優を起用できれば、それっぽい声の演技はそれなりに期待できるからだ。

一方で、それっぽい声をアテるのを放棄するケースもある。例えばテレビ番組で、大量に放送されるドキュメンタリー番組では、いちいちそれっぽい声を見つけるのは至難の業になる。むしろ、感情を抑制させた、聴きやすい声の方が求められるわけで。

どんな人が喋っているかどうかに関わらず、そして男女問わず、ちょっと低めで誰もが聴きやすい声量・声質の声優が起用されるのだ。

もちろん、ちょっと耳を傾けると「なんで、こんなに不自然な喋り方をするのだろう?」と訝しがることになる。でも、それはあえて不自然さを許容しているのだ。ちゃんと聞こえる、しかもそれなり長い時間であっても聞くに耐えられること。それが重要なわけで。

そんな、名もなきプロフェッショナルの存在を、年の瀬にちゃんと讃えたいと思う。その声は、絶対に必要なのだ。