親切な人(ふつうエッセイ #647)

2年前から品川区が運営しているコワーキングスペース「SHIP」で仕事をしている。

品川区は起業支援に手厚く、創業当初からお世話になりっぱなし。SHIPのレセプションの方々はみな優しく、コロナ禍で僕がやや神経質になっていたときに、僕が時折申し上げるクレームにも真摯に対応いただいていた。(コワーキングスペースの中でも、SHIPは利用者のマナーがかなり良い方だと思う)

コロナ禍で入居したこともあり、あまり利用者同士の交流はない。各々が個別に作業しているので、相互に交流を図る機会が少ないのだ。いや厳密にいうと、イベントなどを定期的に開催しているため、僕が気付いていないだけで利用者同士の交流はあるのかもしれない。

いずれにせよ結果として、顔は知っているけれど名前も会社名も事業内容も知らない。という人ばかりの状態だ。でも利用料金もリーズナブルなため、しばらくは別のところに移るつもりはない。

そんなコワーキングスペースで、ひとりだけフレンドリーに接してくれる利用者の方がいる。その方はよく隣に座っていて、ことあるごとに会釈を交わしてくれるのだ。僕が床下に設置されている電源ケーブルにうまくつなげられないときは、「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれたりもする。とても優しい。

こんなふうに、僕が見ず知らずの人間に優しくしたのは、いつが最後だろうか。電車で席を譲ったりとか、荷物を落とした人に声を掛けたことはある。でもそれは、「そりゃ声を掛けるよね」という状況のように思う。

難しいのは、「ああ、これって声を掛けた方が良いのかな」という場面である。傘がなくて困っている方に「どうぞ」と傘を渡すような。なかなか勇気の要る行動で、大いに頭を悩ませるだろう。親切心が余計なお世話として見做されやしないか。38歳になれば、どうしたって自分を守るために積極的スルーをしてしまうときがある。

情けは人の為ならず、というのは誤用として使われることが多いが、もしかしたら誤用として広まった辺りから、本当に「情けはあまり人のためにならないよ」という風潮も広まったのではないか。

人間の善意を信じて、何事も明るくやっていきたいものだ。そんな朝、今日は早朝から粗大ゴミのゴミ出しやら、エアコンの掃除やら、色々頑張りましたとさ。これもまた、ひとえに親切心でしょうか。