今できることは、今やる、というか。(ふつうエッセイ #563)

「今できることは、今やれ」

そういう言説はよく耳にするけれど、けっこう斜に構えた性格ゆえ、ちょっと疑わしいものだと思っていた。

これまでの自分を振り返ると、おおむね、やるべきことを先回しにしてきたわけではない。高校受験や大学受験は、もう「今やらないで、いつ勉強するんだ?」って具合にやってきたし、社会人初期の頃は、同世代の中で秀でたいという気持ちで頑張っていた。「今できることは、今やれ」という言葉が疑わしいというよりは、そんなの当たり前だろう?という感覚でいたわけだ。むしろ、そうやって何もかも単純化して語るから、人によっては身体を壊してしまうんだろうとも思っていた。

「今できることは、今やれ」

それはそうなんだけど、状況や条件による。そんなところだ。(嫌な上司から「今できることは、今やれ」なんて言われたって、絶対やりたくないですよね、みたいな)

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そんなこんな、実は、何周もこの問いについて考えてきた。

今、僕が着地しているのは、前提として「今」というものを真剣に考えた方が良いというものだ。

最初にそのことを思ったのは、人間誰しも、平均寿命程度までは長生きするだろうと考えているらしい。そう気付いてしまったことだ。でも、無論、早くして亡くなってしまう人もいるし、不幸な事故や事件に巻き込まれてしまうことだってある。「楽しみは最後にとっておこう」と思っても、命がなければどうにもならない。

加えて、40歳が間近になってきたときに、「ああ、体力というのは限りある資本だな」と理解してきたことだ。30代後半、徹夜をすると、平時の体力に戻すまで2〜3日かかってしまう。正念場というときはあれど、日々のアベレージは高いままでいたい。なのに体力が追いつかないという焦りは、特に1〜2年前はひどく存在していた。

そういった意味で、「今」を大事にしないといけない。

たぶん10年後は生きていると思うけど、体力はどうだろう。ひどく落ちていないかもしれないけれど、腰が痛かったり、腱鞘炎が悪化していたり……。健康面における体力の低下は多かれ少なかれあるはずで。だったら、今、動けるうちにできることをしっかりやりたいと思う。

がむしゃらに。

50歳でも、がむしゃらになれる体力や好奇心はキープしたい。そりゃ努力するけれど。自分がコントロールできない要因で、ブレーキがかかることはあるはずだから。今だよ、今。今、頑張ろう。