定食屋、文化資本、東京(ふつうエッセイ #125)

学生時代、僕が住んでいた藤沢市の湘南台には、行きつけの定食屋がいくつかあった。

残念なことに、僕が大学を卒業してから閉店してしまった店も多い。儲からなくなったのか、店主の体力的な問題なのかは分からない。

手持ちのお金が限られている中、500〜700円で腹いっぱい食べることのできた定食屋は有難い存在だった。ご飯を食べた後もしばらくお店にいさせてくれて、友人たちと話をする時間を許容してくれた。

定食屋とは、文化資本を豊かにしてくれる存在なのかもしれない。

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東京には、定食屋が少ない。

僕の生活圏に限定した印象かもしれないけれど、まちがいなく、渋谷、品川、新橋には定食屋は少ないと思う。大学街とビジネス街の違いというだけではなく、東京の外食市場において定食屋は劣勢を強いられていると想像している。

個人経営の定食屋は、チェーン店に比べると食材調達におけるコストメリットで差をつけられてしまう。利益率の高いアルコール消費も期待できないため、ますます勝算がなくなる。

極めつけは回転率だ。

本を読むのも、友人と話をするのも時間がかかる。回転率を高めることと文化資本に寄与することは矛盾するわけで、そういった意味でも定食屋は分が悪くなるのではないか。(「食べる」という機能を果たすだけの定食屋ならば、ここはクリアされるけれど)

そもそも僕は外食の機会は減っている。

それでも、たまにはゆっくりとアルコール抜きでご飯を食べられる場所がほしい。食事ができるカフェもあるけれど、学生時分に味わったような「お腹いっぱい」な感じは叶わない。

あの懐かしさは、東京にいる限りは、もう戻ってこないのだろうか。

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定食屋で、僕はたいてい、からあげ定食を食べていた。

定められている食事と書いて定食だが、いつもと一緒のメニューは落ち着くものだ。メニューを見ながら「う〜ん」と悩む必要はない。

着座と同時に「からあげ定食ください。ご飯大盛りで!」と注文できるのは、とても楽だった。

食に対して僕はこだわりがないと思っていた。

だけど食事に対しては、こだわりがあったのかもしれない。

湘南台の亜水花、AROME、本当にお世話になりました。豚菜は全席テーブルになったという噂ですが、引き続き学生たちのお腹をいっぱいにしてあげてくださいね。