波長(ふつうエッセイ #604)

息子を観察していると、周囲の子どもと仲良くなる場合と、そうでない場合がある。

「波長が合う」かどうか、と言われればそれまでなのだけど、この違いは何なのか、息子が生まれて5年経った今でもよく分からない。

僕が通っていた中学校は、僕の出身の小学校を加えた、3校の小学校の合流で成り立っていた。僕が他校出身の生徒で最初に仲良くなったのは、ひとつ前の席の男子生徒だった。彼は「ふ」で始まり、僕は「ほ」で始まる苗字だ。それは物理的な距離ゆえだったのだろうか。(でもひとつ後ろの「ま」で始まる苗字の男子生徒とは仲良くならなかったと思う、たしか)

先日、5歳の息子は、僕の地元で、地元の子どもたちと2時間ほど(!)遊んでいた。初めて会ったのに、最初から距離をつめて、虫を探したりしゃぼん玉で遊んだり、鬼ごっこをしたりしていた。また地元に帰れば、彼らと遊ぶことがあるかもしれないけれど、まあ、一期一会というやつだろう。そんな刹那的な関係でも、心から楽しでいる彼らが、ちょっとだけ羨ましくなった。

波長。

その言語化できない何かは、ポジティブにもネガティブにも作用する。願わくば、その波長の大きさや長さが、広いレンジであってほしいと思う。いや、狭いレンジの方が「濃い」つながりを作れるのかもしれないな。

だから、どっちでも良いのかな。

でも、他人を傷つけたり、悪意をもって差別したりするような人間にはなってほしくない。でも子どもとは、親の背中を見て育つわけで。僕自身の人間力が試されているなあと思うのだ、常々。