noteを毎日書けるくらいの心の余裕を。(ふつうエッセイ #491)

「noteを毎日書けるくらいの心の余裕がほしい」

年始にSNSを眺めていたら、こんな投稿が目に入りました。

「心の余裕」は、誰しもほしいもの。そこは合意できるのですが、添えられている「noteを毎日書けるくらいの〜」という部分には首を傾げました。

もちろん、これは人によってケース・バイ・ケースでしょう。

実際に、日々のホワイトスペースを確保するために、時間をとって執筆に充てる人はいます。朝、昼、夜。誰にも邪魔しない場所で、思考を巡らせながら書く(タイピングする)。それだって当人にとっては悠々自適というわけではないと思いますが、そういった心の「ありよう」は、意識しないと手に入れることはできません。

ちなみに僕は、2021年4月から、毎日欠かさずnoteを書いています。昨日までで、648日を記録しているようです。どれほど自分に役立っているかは分かりません。

ちょうど昨日、心身ともに体調が悪く、夕方から夜にかけてソファで横になっていました。風呂に入っても身体を動かすことができず、「ああ、これは精神的なしんどさを感じているんだな」と気付きました。そのしんどさは、書くことも要因のひとつかもしれない。「もう、やめてしまおうか」と、わりと本気で思いました。(何とか短い文章を絞り出しましたが)

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noteを毎日書けるくらいの心の余裕を。

そこにはもう少し言葉を添えつつ、以下のような文章に書き換えた方が良いかもしれません。

noteを毎日、楽な気持ちで向き合えるくらいの心の余裕を。

長くなってしまいましたね。キャッチコピーだったら失格です。

でも、自分の気持ちを言語化することは、別にキャッチコピーのように短く・端的に表現する必要はありません。書き殴るように、文字を連ねていくだけでも十分良いはずです。

パソコンでも、ノートでも、砂の上でも、どこでも構わない。

心の余裕は、楽に得られるものではありません。普段は何かしらザワザワして、その都度折り合いをつけながら、ほんのひととき得られる心地よい感覚のことではないでしょうか。

それが1日1回訪れるのか、3日に1回訪れるのか、あるいは1年に1回しか訪れないのか。その辺は人それぞれでしょう。

でも、少ないからといって悪いことでもないはず。

きっと大丈夫。そう思える瞬間が、「いつか必ず来る」と思えることが、生きる支えになるはずです。

柄になく、感傷的なエッセイになってしまいました。今日はゆっくり休んで、また明日から、ちゃきちゃきと仕事に励みたいと思います。