予定は未定(ふつうエッセイ #601)

20代の頃、仕事以外のスケジュールはすべて「ぼんやり」していた。

約束と思しきものは、約束のようで約束でない。「行けたら行く」というマジックワード。「予定はあるの?」と聞くと、「予定は未定」との返答。これも言いつ言われつの関係で、しっかりと予定を決めるのは夏フェスくらいなものだった。

フジロックだって、「トリのOasisは観る」程度のもので、だいたい友人とのタイムラインは共有するけれど、待ち合わせ場所で会えないことも多かった。今は分からないけれど、当時の苗場は、電波が悪く、特に人が大勢集まる夕方〜夜にかけては壊滅的な状態だった。

「うわー、誰もいねえ」なんて嘆いているとき、すさまじいライブを見せるアーティストがいたりして。

今は、もう全てがしっかりしている。電波(なんて死語か)の帯域がものすごく強化されて、ついうっかりLINEを見逃していたりすると、「しっかりしてよ」なんて言われる。いま、「予定は未定」なんて言ったら、すぐに友達がいなくなってしまうんじゃないか。

あの頃は良かった。

なんて、すっかりノスタルジーを覚える年齢になってきた証拠だろうか。

来年、僕は40歳になる。

つまり、僕が20代のときの上司は、50歳になっているというわけだ。あんなに下ネタで盛り上がっていたけれど、コンプライアンスのご時世では、もはや「あれ」は完全に抵触してしまうわけで。

あの頃「ふつう」だったものは、もう全然「ふつう」なんかじゃない。「特別」ということでもない。もはや、消え去ってしまったものだ。

あの頃「ふつう」だと思っていたもので、今も「ふつう」で残り続けているものは、何があるだろうか。あまり思い浮かばないな。