600本ノック(ふつうエッセイ #600)

1,000本ノックという言葉がある。

野球の特守(特別守備練習)において、ただひたすら、ノックを受け続けるというもの。現在は、科学的根拠に基づく練習方法が注目されているので、1,000本ノックのような反復練習が効果的かどうか、素人である僕には判別つかない。

だがプロやアマチュアにおいて反復練習が今も実施されているのを見ると、少なくない指導者が合理的だと感じているのだろう。時代錯誤の向きもあるが、野球とは身体的な「慣れ」がそれなりに必要なわけだし、ある程度の反復性は大事だろうとは思う。

未熟ながら文章を書くことで生計を立てている僕も、文章における反復性は重要だと感じている。反復性というか、継続性というか、一朝一夕に文章力を上げることは不可能だ。書くことを定型化するという方法はあれど、人の心を動かす文章は、それなりの鍛錬を必要とする。絶えずインプットとアウトプットを繰り返す覚悟が、必要だ。

この「ふつうエッセイ」も、そんなこんな600回目を迎えた。

ノックを受けているつもりはないが、一歩引くと、1,000本ノック的な意味合いはあるのかもしれない。書いて書いて書きまくって、というほどのことではないけれど、とにかく毎日継続している。

この旅路を、しばらく止めるつもりはない。

糸井重里さんだって、毎日続けているんだ。とりあえず彼が止めるまで、彼の更新した数を上回るまでは続けていく。

つまりそれは、少なくとも30年は書き続けるということだ。30年くらい続ければ、何か見えるかもしれない。いや、見えないかも。でもきっと、そのとき食べるカップラーメンは、きっと美味しいはず。富士山を登頂したときに感じる味を求めて、まだまだ登り続けようと思うなり。