ハイヒール(ふつうエッセイ #249)

渋谷を歩いていたら、カジュアルな格好の女性がハイヒールを履いていた。

カジュアルなのに、ハイヒール。

というギャップも目を引いたのだが、ヒールの高さは相当高い。しかも歩きづらそうに、かかとに気を取られていた仕草が何ともチグハグだった。

僕は、ハイヒールを履いたことがない。

別に男性だからといって、ハイヒールを履いてはいけないという決まりはない。少数かもしれないけれど、ハイヒールを履く男性は、世の中には存在する。僕には、ハイヒールを履くという機会がなかっただけだ。

あくまで、現時点で。

諸説あるが、15世紀ごろにハイヒールが生まれた。それは平然と捨てられた汚物によってスカートの裾が汚れないようにという配慮だったらしい。それが今や、クラシックでラグジュアリーな装いとしてハイヒールが機能し続けている。

でも、多くの女性が口にするように、ハイヒールに慣れていない場合、足を痛めることがある。考えてみれば不思議だ。「ふつう」として認識されているものが、必ずしも機能的であるわけではない。

しかし、ハイヒールが映し出す、凛とした雰囲気は唯一無二だ。いまのところ替えが効くものはない。

いまは、あらゆるものが効率化という名のもとで、機能的であろうと集約されていく。

そうでないことも案外大切だ。「ふつう」というものが、ただただ受容されるような受け身の存在ではない。そんなことを示唆しているような気がしてならない。