言いたくない「人にやさしい」(早坂あゆみさん #2)

20年以上前、精神障害者の人たちと交流する会に入っていた。きっかけは友達が統合失調症になり、心の病について知りたいと思ったから。しかし、活動の中で大きな違和感を覚えた。

当時、会を後援するソーシャルワーカーたちが主体となって、一般人向けに講座を開いていた。偏見が強い精神障害について、正しく理解してもらうためのものである。私も聴講していたが、ソーシャルワーカーが受講生に言ったことが忘れられない。「皆さんが、ここで学んだ知識を周りの人に伝えることも、ボランティアなんですよ」。

確かに知識を広めるのは良いことだ。でも、その行為はボランティアと呼べるほどのものだろうか?私としては、「それは違う」と強く言いたかった。ボランティアはまさにやさしさと愛によってなされる、決して楽ではない奉仕活動だからだ。

私が出会った精神障害者の人たちは総じて、純粋でやさしかった。ただ、中には他人と接する経験が少ないためにコミュニケーションを上手く取れない人もいて、一緒にいると傷つくことが多かった。純粋であるがゆえの悪気の無い一言が胸に突き刺さったり、ささいなことで怒鳴られたりしたのである。何度もやめたいと思ったけれど、根は良い人たちなので交流を続けていた。

でも、自分ではボランティアなんて立派なことをしている気は全くなかった。会の中には、もっと大変な思いをしながらも精神障害者の人たちと深く関わり、支え続けていた仲間たちがいたからである。彼らは時に精神障害者の人たちと激しくぶつかり合っていたが、その人たちが働いている福祉施設まで訪ねて行き、仕事を手伝っていた。彼らこそ、本当のボランティアだった。ボランティアという言葉で、「ただ伝えるだけ」の行為と、彼らの献身的な努力を同列にするのは失礼だろう。「伝えることもボランティア」という言葉は、自分は何も傷ついていないのに、障害者にやさしいことをしているような気にさせる。そこに「人にやさしい」と同じ嫌らしさを感じた。

やさしさや愛には、強い信念と覚悟が要る。やなせさんは、被災者を励ますために、ポスターを描いている。太陽を背にアンパンマンが飛んでいる絵。空の色はまるでご自身の血や心臓の色を塗り込めたかのような深い赤だった。当時92歳。体調はかなり悪かったそうで、2年後に亡くなられている。まさに自分の命を削って「人にやさしく」したのだ。その姿はアンパンマンに重なる。

アンパンマンには餡と一緒に、愛がたくさん詰まっていたのだ。でも、その愛は決して甘くはなかっただろう。

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