反復の哲学(ふつうエッセイ #586)

『街とその不確かな壁』が4月13日に発売された。村上春樹さんにとって、6年ぶりの長編小説になる。

もちろん僕は仕事の一切を中断し、1日をかけて小説を読むことだけに没頭していた。村上さんの文体で描かれた新しいテキスト。読んでいるだけで、胸がいっぱいになる。村上さんの小説を読み始めて18年経つが、「信じて良かった」という気持ちに不思議と包まれた。

村上さんの小説には、彼自身の「反復の哲学」が色濃く記されている。

20代からずっと小説を書き続けてきたからこそ、「書き続ける」ことの難しさや意義を感じているのだろう。彼の登場人物は、せっせと読書に勤しみ、スパゲティを作り、身の回りを綺麗に片付けている。日々の礎として、変わらぬ反復が重要な意味を持っているのだ。

僕が住んでいる周辺では、ひっきりなしに家の建て替えが行なわれている。2014年、結婚をきっかけに移り住んだ土地だけど、9年前とは様相が異なっている(と思う。毎日生活している僕は変化になかなか気付けないけれど)。

実際に建物を作っているのは、手に職を持つ、大工などの職人だ。どの現場も違う大工がやって来るわけだけど、彼らはみな、黙々と作業に取り組んでいる。暑い夏も、寒い冬も、ただ真剣につくっている。昼休みは地べたに座り、弁当やら何やらを食べ、あるいはごろんと休憩している。大工によっては近寄り難い雰囲気もあるけれど、それは日々の研鑽によって積み上げた姿ゆえだろう。

そういう意味でいうと、僕はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、働く場所や職種を変えながら生きている。文章はずっと書いていたけれど、プロとして文章に向き合ったのは、せいぜいここ数年の話だ。

僕の文章には、大工たちが持つ近寄り難い雰囲気を携えているだろうか。いやもちろん、高貴な文章を書いているつもりはないけれど(読まれなきゃ意味がない)、でも、少なくとも同じプロが僕の文章を読んだときに、「なかなかやるな」と思われるような、そんな研鑽が表れているだろうか。

いい仕事がしたい。

村上春樹さんが示す反復の哲学は、間違いなく、その思いを後押しするヒントになるだろう。

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