コピーライターをしていた頃、どうしても使いたくない言葉があった。それは「〇〇にやさしい」。肌にやさしいとか、目にやさしいとかである。なかでも嫌なのが「地球にやさしい」。はじめて見た時、「気持ち悪い言葉だなぁ」と思ったことを覚えている。地球を汚したのは人間なのに、上から目線で「やさしい」とはおかしくないだろうか?
だから、コピーライターの重鎮、岩永嘉弘さんがこの言葉を批判していたのには溜飲が下がった。岩永さんは著書『一行力』の中でこう語っている。「いつから人間って、地球にやさしくできるほど偉くなったんですかねぇ」。
東日本大震災は、そんな人間の思い上がりを打ちのめすかのように、すさまじく強大で凶暴な自然の力を見せつけた。そして私は、未曾有の天災の中で生まれたひとつのエピソードに、心惹かれたのである。
被災地の子どもたちを励ますために、アンパンマンのマーチが流された。ところが、慰められたのは大人たちの方だったという。この歌は、アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんが自ら作詞している。一部を紹介しよう。「そうだ うれしいんだ 生きる よろこび たとえ 胸の傷がいたんでも なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!」哲学的な歌詞に驚いた。それまでアンパンマンとは、子ども向けの正義のヒーローという印象しかなかったからである。
興味が湧いて、やなせさんの著書『わたしが正義について語るなら』を読んだ。「傷つくことなしに正義は行えない」という一行に打たれた。その信念はアンパンマンに投影されているという。アンパンマンは名前が表すように、顔がアンパンで出来ていて、お腹を空かせている者に自分の顔をちぎって食べさせる。こうした自己犠牲こそ正義だと語っていた。
この正義は、やさしさや愛と言い換えられる。真のやさしさとは、愛とは、自分が深く傷ついても相手に尽くす厳しさに裏打ちされたものなのだ。だからこそ私は、「地球にやさしい」「人にやさしい」と簡単に言いたくないのである。