励まされる(ふつうエッセイ #562)

ライターとして仕事をしているけれど、自分の書いている文章がどこまで届くだろうと、いつも疑念を持っている。

「どうせ、誰にも読まれないのではないか?」という思いもよぎる。それでも、もちろん自分の持ち場を守るべく、精一杯の力を振り絞っているつもりだ。

今日、とあるプロジェクトにオブザーバーとして参加した。取材をした者同士が感想を述べ合っていて、「この部分の言葉に、『今のままで大丈夫なんだ』ってすごく励まされました」という話をしていた。「僕も、この言葉を聞いてすごくホッとしたんです」と、ライターの方も話していた。

ふたりのやりとりを聞いていて、「ああ、やっぱり伝わることってあるんだな」と感慨深い思いに駆られた。

そうなのだ。

例えば、自分の書いた記事が100人に読まれたとする。でも、99人は表面的な部分しかなぞらず、そのまま離脱してしまうだろう。だけど、たった1人だけはじっくり読んでくれるかもしれない。読んで、心が動いて、もしかしたら人生が変わるようなインパクトを与えられているかもしれない。

やっぱり、それが楽しくて、嬉しくて、僕は文章を書くことが好きなんだと思う。

僕は音楽もできないし、スポーツも苦手だ。手を動かしてデザインすることもできない。

でも「書く」ことだけは、人よりも上手くできる。自分が思っていることを、100%までいかないまでも、しっかりと文章という形でアウトプットできるのだ。唯一僕に与えられた表現手段であるが、当然それは、書いたものを読んでくれる他者がいて成り立つものだ。

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映画だって、そうだろう。

現在ヒューマントラストシネマ有楽町で、オタール・イオセリアーニ映画祭というものが開催されているらしい。

映画好きの仲間がたまたま訪ねたが、鑑賞した日の客入りは芳しくなかったそうだ。

「そうですよね〜」とため息混じりで返信しようとしたら、その方はこんなふうに語った。

「でも、一部にすごいファンがいます」

そうなのだ。

ビジネスである限り、興行収入がシビアに問われるのは間違いない。だけど、量的な側面だけでなく、質的な側面こそ、映画というメディアに関わってきた人たちがずっと大事にしてきたものなのだ。

「良い映画を観たな」という感覚は、人それぞれ。まさに多様である。

企画した人の意図が、誰かに伝わること。量だけじゃない、質も大事である。

そんな大事なことを、時々忘れてしまうんだよなあ。ちゃんと、胸に留めておかなくちゃ。その方が、人生楽しいはずだよね。