やる気が出る魔法のコトバ(ふつうエッセイ #219)

久しぶりに「やる気」「魔法」というワードを目にした。

しかも、このふたつを掛け算したような宣伝文句。こんなコトバがあるなら、100万円払ってでもその学習塾に入りたいものだが、どうも誇大広告のような気がしている。

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一生懸命、この宣伝文句を考えた人には申し訳ないが、ひとつずつ検証したい。

まずは「魔法」。魔法とは人間の力を超えたものなので、もしこの講座が人間を介して行なわれるのであれば、さっそく矛盾している。

魔法を使える人間はいないからだ。フィクションの世界ならともかく、世の中に、本物の魔法使いは存在しない。

魔法「のような」コトバであれば、もしかしたらあり得るかもしれない。だが「のような」とした途端、宣伝文句の効力は減じてしまう。なので魔法のコトバとしたのだろうが、人間が関わるサービスにおいて魔法という表現は不適切だ。

もうひとつ、「やる気」というのは、どうだろう。

やる気が出る。ここでいうコトバとは、本人以外の他者によって発せられるものだ。つまり外的要因によって、やる気が起こるという構造になっている。

だが他者の存在によって、やる気を引き出すことは本当に可能だろうか。

そもそも、やる気とは何だろうか?

岩波書店の「広辞苑 第七版」によると、「物事を積極的に進めようとする気持。」とある。(ちなみに漢字では「遣る気」と書くようだ)

うーん、よく分からない。だが、物事を積極的に進めるにあたり、もうちょっと分解して考えた方が良いのでは?と思ってしまうのは僕だけだろうか。

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ちなみに、数年前、非認知能力として注目された「GRIT(=やり抜く力)」という概念がある。Guts(ガッツ)、Resilience(レジリエンス)、Initiative(イニシアチブ)、Tenacity(テナシティ)の頭文字をとったものだ。

この動画で話者が明言している通り、GRITをどのように育てられるかは未だ分かっていない。

この話者と、誇大広告を掲げる学習塾の知見の差がどれほどなのかは分からない。だが研究という地平において「未知である」と認められているものを、安易に否定する勇気は僕にはない。

ここまでテキストを展開して、やはり思うのだ。

やる気が出る魔法のコトバ、なんて、ない。