他人になれない、不思議な縁。それが家族~母の横顔、父の背中に感じた愛(安藤エヌさん #2)

話した通りに病状は悪化していき、ついに高級住宅街の一角にある信憑性のないセラピストの元に訪れるまでになった。私たちはその時どん底にいて、藁をも掴む勢いで、誰かに救いを求めていたのだ。

娘のことを真剣に話す母の横顔が、今でも忘れられない。
泣きそうな、しかしぐっとこらえているような、気丈にふるまおうとしている、そんな顔つきだった。セラピストは母の話に神妙に頷くばかりで、他には何もしてくれなかった。そして終わりがけには高い金を要求し、母はなんの躊躇いもなく財布からお札を取り出し、彼女に渡していた。

それからも救急車に何度か乗ったり、入院したりと大変なことが幾度となくあったが、そのたびに感じるのは母の愛だった。あれは紛れもなく愛そのものだった。愛、というものの原始的な温かさを感じた。

母が娘を愛するというのは本能から来るもので、もっとドライな言い方をしてしまうのならば、元からインプットされている感情のように思っていた。しかし母の愛は、そういったものを度外視した、肌理のあいだから伝わる優しさだったように思う。苦しかった時、自分も同じようにつらいはずなのに傍にいてくれた母に、今はなんとかして親孝行がしたいと願っている。

この前の誕生日には花木の柄のワンピースを贈った。暖かくなったら、それを着て一緒にランチに行ったり公園に行ったりするつもりだ。

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続いて父に関することだが、彼に対しての感情は母に感じるそれとは違っていた。

もっと複雑だし、私と彼の間の愛について考えると、とたんにむず痒くなったし、覚束ない気持ちになった。父は愛から遠い人だと思っていたし、母が父に何かと苦労させられているのも、私と彼の間のわだかまりを加速させていた。

昔は父親の楽観的な部分に癇癪を起したり、不満を募らせたりしていたが、私ももう大人になったので最近は何も感じなくなった。興味がなくなった、という方が正しい。母に比べて思い出らしい思い出が殆どないからだ。

しかし一つだけ、学生時代のことで忘れられない出来事がある。

それは私がまだ大学に在学していて、持病のせいで単位が危ぶまれ、果てには卒業できるかも怪しくなった日の折だった。

家の近所にある公園で、ベンチに隣り合わせで座り父と話した。ふたりは正面を向き、もうすぐ暮れそうな日を睨んでいた。
そのうち私が、自分の病気のことや大学のことをぽつりぽつりと話すのを、父は黙って聴いていた。自分の不甲斐なさと病気になった理不尽さに、私は泣き始めた。すると父も、隣で音も無く泣き出した。ぎょっとした。父が泣いている姿を見たのは、父の母である祖母が亡くなった時くらいだったから。

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