1通目「ただ、待つよ。」(山本夕紀さん #1)

話が前後するけれど、そもそも私が、なぜ言葉を待つということをするようになったのか。

考えてみると、私自身が自分の気持ちや思っていることを誰かに話すときに、驚くほど時間がかかるからだと思う。

「焼き肉が好き」とか、「バスケ部でこんな思い出があってね」というような、人に話してもマイナスな反応はきっと返ってこないだろうものや、自分の中で言葉になっているものについて話すことはそんなに難しくないのだけど、どんな反応が返ってくるか分からないようなものや、自分でもあまり理解できていないけれど確かに心にあるようなことは、言葉でまとめることも、第三者に伝える勇気を持つことも、もう、ほんとにしんどい。

でも時折話したいと思うときが、もしくは話せるときが、ある。

そしてそのときは、話し始めるまでに少し時間が必要で、話し始めたらなるべく途中で遮らず、私が話す言葉を最後まで待っていてほしいと思う。

もしかしたら話し始めてみたものの、言葉に詰まって上手く話せないかもしれないし、理屈が通っていないことを好き勝手に言い散らかすかもしれない。

けれど、そこで話を聴いてくれているあなたにしか見せない、私から生まれる、沈黙や、言葉や、目線や、呼吸を、私の精一杯を、ちゃんと聞いて、その全てを見ていてほしい。

そして私は、あなたがそれを知ってくれたということに安心するのだ。

だから私も、あなたがあなたの言葉で話し出そうとしているとき、なかなか話し始めてくれなくても、途中で言葉に詰まろうとも、辻褄が合っていなかろうとも、ただ、話し終わるまで待っていたい。

そうしてようやく、あなたを受け取ることができたと感じられるのだ。
今のあなたそのものを受け取りたくて、あなたの言葉を待っている。とも言える。

こんなことができるって、起こるって、多分そこには愛があるのではないだろうか?

話す側も、聞く側も、お互いにとって大切な時間を共有し、話を聴いたところで役に立つことは何もないかもしれない。けれど、今ここで生まれているあなたという存在を受け止めてみたいと思っている。

いや、思ってすらいないかもしれないけれど、結果的にそうなるように、静かに言葉を待っている。
損得でも理屈でもなく、私が考えるより先に行動となってやってしまうことなのだ。

だからきっと、私があなたの言葉を待つということ。
それはおそらく、私があなたを愛したいと思うからで。
あなたの言葉を待つその時間。
そこにはきっと、愛があるのだと思うんです。

1 2 3 4