食べたかったアイス(ふつうエッセイ #345)

少し前に、駅前で開催されているPCR無料検査を受けてきた。唾液で検査できるので4歳の息子も連れていく。意外と多めの唾液を出す必要があったが、ふたりでせっせと作業に取り掛かった。(結果はどちらも陰性でした)

「大変だったね〜」と言いながら、自宅に戻る。

道すがら、セブンティーンアイスの自動販売機があったので、息子にアイスを買ってみる。

基本的に旅行でもない限り、僕は息子にアイスを与えない。「ジュースもあげてないんです」というと驚かれるが、特別なときを除き、我が家では人工甘味料を含んだ飲食物は与えない方針だ。(その是非はともかく。果物はたくさん食べさせています)

暑い中歩いて、ボソボソと唾液を出した4歳の息子の苦労に報いたい。そんな親心でアイスを買ったのだが、息子いわく「ここを通るとき、いつもアイス食べたかったんだ」とのこと。美味しそうなセブンティーンアイスが並ぶ自動販売機を羨ましげに眺めていたという。

このアイスは、そんな感慨深さを伴ったものなのか。

あまりの暑さに、開封した瞬間から溶けていくアイスに苦笑しながらも、息子の気持ちに思いがけず寄り添えたことに嬉しくなる。

「虫歯にさせたくない」は将来を見据えた親心だけれど、いまという瞬間に「やりたい」「食べたい」を実現させてあげることも親心といえるだろう。ただそれは利害が相反することもあって、常に葛藤してしまうんだけれど……。でも、こんなにアイス食べたかったんだなあという思いを見せられると、自分の方針が間違っていたかもと思ってしまう。

そうやって、だんだん親としての「親心」は磨かれていくのだろう。

ときには臨機応変に、例外をつくる。溶けてボロボロになったアイスも、彼にとって良い思い出になったはずだ。