スピードを落としてください(ふつうエッセイ #262)

たぶん僕は、気付かぬうちに運転手のマナーに助けられている。息子が生まれてから、そのことに気付いた。

息子と一緒に道を歩いていると、向かいから来る自動車がスピードを落としてくれる。内心「ああ、面倒くせえなあ」と思っているのかもしれない。でも運転手と目が合うと、そこには「子どもを守ろう」という意思を確かに感じるのだ。

それでも、中には自己中心的な運転手も散見される。

自転車で細い道を走っていたら、向かいから赤い車が、スピードを落とさずに突っ込んできた。慌てて壁側に寄ったけれど、少しでも体勢を崩すと接触してしまっただろう。

スピードを落としてください。

僕の内心は、運転手には届かない。振り向いたときには、運転手ははるか先を走っている。やっぱりスピードは落としていない。

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昨日のエッセイに続いて、何となくメタファーとして掬ってみる。

身体的な危険には該当しないけれど、仕事においては「スピード注意」という状況をたびたび目にしてきたように思う。

特にベンチャー界隈では、スピードが何より重要とされる。「Done is better than perfect.」という言葉がある通り、とにかくスピードを上げて目の前のことを終わらせることが重要なのだ。それが積み重なっていくと、人間の許容量を遥かに上回る仕事量にパンクしてしまう。(実際に、パンクしてしまった人をたくさん見てきた)

だが不思議なことに、そういった極度なプレッシャーを乗り越えた人たちが「あれがあったから成長できたんです」と胸を張るケースが絶たない。いや、実際に成長はできたんだろうと思う。本人にとってはそれなりの美談であり、武勇伝であり、すべらない話なのだ。

だけど、それこそスピードを落として考えてもらいたい。その成長は、心身の疲弊と隣り合わせにあったのだ。過去形でなく、いまも、その人の心身にダメージを及ぼしていて、ただただランナーズハイになっていただけかもしれない。

その人の活躍にとって、会社は利潤を上げたかもしれない。経営陣は巨額の利益を得たかもしれない。お客さんだって喜んで、結果として社員にもボーナスが支払われたかもしれない。取引先も順調にビジネスが育つならば、みんながハッピー。でも、本当にそうだろうか。

高さ50メートルの地点で綱渡りをしながら、トレーニングが十分でない人たちがジャグリングする。落ちたら、死ぬ。

リスクの度合いは違えど、そういう環境に加担してはいなかっただろうか。

立場によっては、「スピードを落としてください」とは言えないだろう。でも、本当に危ない状況だったら、車が来る前に、逃げた方が良い。別の道を進んで、事故に遭わないように注意した方が良い。

「あなた」が悪いわけではない。根本的な解決を提示しない僕に苛立ちを覚える人もいるだろう。でも、死んだら終わりなのだ。

スピードを落としてください。あなた自身も。