終戦の日、引き際について(ふつうエッセイ #344)

1945年8月15日。77年前の今日、日本は戦争を止めた。

だから終戦の日、あるいは終戦記念日と呼ばれている。

でもこの戦争は、日本が自発的に止めたのかどうかは疑わしい。戦争で甚大な被害を受け、これでもかこれでもかと痛めつけられてきた。それでも「持久戦なら勝てるかもしれない」「神国日本には神風が吹く」といった言葉を信じて、終戦を延ばし延ばしにしてきた。その結果、8月15日に至る直前まで、凄惨な被害を被っている。

止めることが苦手な日本人。

ボロボロになってようやく戦争を止めたが、それは止めざるを得なかっただけではないか。というか、まだまだ続けていた可能性だってあり、それ次第では、僕だって生まれてきていないかもしれないのだ。

止めることが苦手な日本人。

大なり小なり、「ああ、日本人っぽいな(苦手なんだろうな)」と思うような事象は、そこかしこで散見される。痛みを伴っても最後までやり遂げるのが美徳であり、僕もそう教えられてきた。

だけど、立ち止まって考え直すべきなのかもしれない。終戦の日は、過去の過ちを直視し、反省すべきタイミングだ。しっかりと「きっかけ」として活かしていく責務がある。