番号札(ふつうエッセイ #305)

総合案内に鎮座する受付用の機器から、番号札を発行する。

そこにいちおう人はいて、「どこの部署の受付ボタンを押せば良いのか」分からなければ、懇切丁寧に案内してくれる。

このシステムのおかげで、お客さんは受付に並ばなくて済む。然るべき部署の受付が済み、番号札に書かれている数字が呼ばれるのを待つだけだ。システム上で、オートマティックにお客さんの情報がアーカイブされているわけで、管理側にとっても利便性が高い。

受付番号、338。
’22. 07. 07
番号順にお取り扱い致しておりますので、恐れ入りますがお呼びする迄お待ち下さい。

「こんな番号札、意味ないじゃないか!」と言いたかったけれど、そんな要素はひとつもない。非の打ち所がない。長く、きっと長く承継されてきた仕組みであり、文言も何度もバージョナアップされてきたに違いない。とても簡潔であり、これ以上の情報は不要だ。

だがひとつ言いたいのは、用事が済んでもうっかり番号札(札といっても、小さな紙切れである)を持って帰ってしまうことだ。番号札を回収する運用と、回収がマストでない運用と2種類あるが、後者の場合、気付けばたくさんの番号札がお客さんの手元に収集されるということになる。

こんなにたくさん呼ばれたんだなあ。

感慨に浸ることはなく、ため息をついて紙切れたちをゴミ箱に捨てる。この時間だけは、無駄だと断言できる。

番号札が、番号札でなかったらどうだろう。石ころを渡されるとか。「角がとんがった石をお持ちの方〜」なんて呼ばれたら、カニバってしまいそうだ。ゴミになってしまう紙切れだから嫌なのであれば、なにかこう食べ物のパッケージに番号が印刷されているのはどうだろう?いや、だいぶコスト高になってしまう。

そういえば、最近はアプリで完結している医療機関もある。僕の息子が通う耳鼻咽喉科は、アプリで予約ができる。順番が近付いたらクリニックに向かえば良いので楽なのだが、そこでもなぜか番号札を渡される。これは、本当に意味ないやつだな。

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10年後、番号札は残り続けるのだろうか。30年後はどうだろう?

「札ってなんですか?」って言われる時代が、きっと来るんだろうなあ。