愛があるから生まれることは確かだが、愛とは明らかに違い、わからないので、怖いもの(片山壮平さん #1)

かくいう自分は、素直に食事に対しては美味しいと言えない質だ。美味しい!と、ひとこと言えば良いと分かっていても、言える時と言えない時がある。ましてや美味しくないものに対して美味しいと嘯くこともできない。今までいわゆる営業業務に絡む食事の場で、この質が裏目に出た、とまでは言わずとも、食事がただの食事に終わってしまったことは数しれない。まあ営業で実績出せる気質でないなあとは思っていたが、そんな自分から見てもうちの子どもたちの態度は、許容できる範囲を通り越して、親に対してあからさまな不快感を抱かせる。

では手本が見せられていないのか?
いや、夫婦としてはお互いの料理は気に入っていると思う。2人してフルリモートとは言え、忙しい中でなんとか連携して買い出しと調理を分担しつつ、準備する毎日の料理だ。掛け値なしに美味しいし、ありがたい。かなり意識してきちんと言葉にもする。この感覚が、子どもにきちんと伝わらないのはなぜなんだ??

堂々と肉汁を孕み、これまた味の濃そうなグレービーソースがかかったハンバーグの横に、申し訳程度に置かれた野菜。しかもそれは好き嫌いの分かれるほうれん草とかそういったものではなく、ほぼクセが無いじゃがいものグリルであったとしても、いの一番にそれを指し、

「これ、きらい」

「だーかーらー、いつもお父さんはなんて言ってる?何見てる?その横のハンバーグは?」

「好き」

「じゃあ、仮に本当に大嫌いなものがそこにあったとしても(じゃがいもが嫌いなんて話は今初めて聞いたがそれは百歩譲る)、それに関しては、あえて、全く言及することなく、まず最初に好きなものを口に入れ、心から『美味しい!』と叫びなさい。これは絶対ルール!」

グダグダしながら、3人いれば誰かは結果的には全部平らげ(平らげるんなら最初から気持ちよく食えと思う)、もう一人は嫌いなものには全く手を付けないまま親が諦め、時間がかかるものだからお腹いっぱいになって半分残り、最後の一人はほぼ食べないままで、「じゃあもうあと3口食べたら終わりにしていいよ」と妥協する。食事が始まってここまでで60-90分経過している。冬なら風呂は冷めている。

残された食事を夫婦で何とかさらって、それでも残った食べ残し。叱られて食べさせられているぶん、変にぐちゃぐちゃ混ぜていて、ラップかけて保存しようにも、もうひと踏ん張り口に入れようにも、どうにもできない状態のものは、食品ロスとなる運命にある。以前は冷蔵庫に保存していたが、結局カビが生えるので最近は心を無にして捨てる様にしている。
自分の作った食事を、いちばん食べて欲しい人に食べてもらえずに自分で食べて、なお自分で捨てる。この瞬間につくため息は、なんとも言えない感情の流れの残滓だ。

1 2 3 4