光り続ける君(ふつうエッセイ #289)

闇の対義語とされる、光。

ほとんどの人が無条件で光の存在を肯定するが、僕はちょっと違う考え方を持っている。

光よ、なぜ君はそんなに光り続けようとするのか。そう言ってやりたい。

*

どういうことか。まさに、しょーもない話だ。

寝ようとしている瞬間、部屋の中で輝く小さな光が気になるということ。

・エアコン:電源オン時の光(白系)
・テレビ:電源オフ時の光(赤色)
・電源タップ:オン時の光(オレンジ)
・炊飯器:予約時の光(白系)
・ルームライト:充電時の光(白系)

挙げればキリがないほどに、様々な光が、僕の安眠を妨げようとする。

メーカーも「よかれ」と思って、このような仕様にしているのだろう。クーラーの発光がなければ、電源を切らず外出するリスクがある。予約や充電時の光も、「できていなかった」といううっかりを防止する役目を果たしている。

話は変わるが、僕は時計の秒針音が無性に煩わしく感じたことがある。中学生のときで、イライラが募って時計の電池を外すほどだった。(目覚まし時計としての機能は失われたが、それにも増して眠れないことがストレスだった)

秒針音を消すには、原理的に、それなりの技術が必要なことは何となく理解できる。だから致し方ないと思うのだけど……

でも、前記したような光は、メーカーの厚意によるものなのだ。あえてこういう仕様にしているというか。

これらの光に需要があるのは理解しているが、だけど、神経過敏のような感じで、光があると眠れないという人は一定数いるはずで。

メーカーが右へ倣えのような感じで、発光の仕組みを継続させていくのは、なんというか、マイノリティへの想像力が欠けているように思うのだ。

かといって、良いデザインは浮かばないのだけど。

ひとつ言えるのは、光り続ける君に罪はないこと。良い感じで、折り合いをつけていくしかないんだよね。エアコンは切れそうにないけれど……