温めの銭湯のような。(ふつうエッセイ #693)

14時前の公営プールは、温めの銭湯のようだった。あまりに冷たいと長居できないが、「さすがにあったか過ぎだろう」と愕然とした。それでも家から近く、夏の遊び場として重宝しているのだが、かつてプールは気持ち良い場所だったよなあと嘆息する。

それでも子どもたちは、時折歓声をあげながら泳ぐのを楽しんでいる。少し腹の出たお父さんたちは、子どもの「あっちへ行ったり、こっちへ行ったり」に対応するので精一杯だ。

各地で、夏のイベントが開催されている。盆踊り、夏祭り、花火大会。

ただ中には、予算不足のため中止した催しもあるという。地域によっては、イベントに精を出すあまり、運営側の負担も重くなっていると聞く。

子どもが楽しいのは大前提だが、大人も楽しく「遊んで」ほしい。大人に「遊び」がなければ、誰が遊びの尊さを伝えることができるだろうか。

時間を忘れて野山を駆け回った時代は、もはやノスタルジーか。いやいや、そこらを見渡すと、お父ちゃんもお母ちゃんも頑張って、野山を駆け回る子どもたちをフォローしている。その表情は、あたふたしつつも楽しそうだ。遊べや、遊べ。

僕もソニックマニア、行ったるか。

結局、音楽フェスへの未練で終わるあたり、僕の成長のなさが浮き彫りになるのであった。