公衆電話の思い出(ふつうエッセイ #290)

実家近くの国道沿いに佇む電話ボックス。

かつて僕が使っていた公衆電話であり、変わらず残っていたことに嬉しさ、懐かしさの感情が込み上げてきた。

ほとんどの人が携帯電話を所有している昨今、公衆電話は徐々に撤去されている。需要もなくなっているわけで、当然の流れといえる。

具体的な思い出は胸の内に秘めるが、30分〜1時間ほどの長電話を楽しんでいた公衆電話は、当時の僕にとって不可欠の機器だった。家の電話では、家族の誰かに聞かれるかもしれない。(公衆電話はクローズドでパーソナルな空間であり、携帯電話「的」なものだったといえなくもない)

公衆電話を使って、長電話を楽しむ人など、もはや皆無だろう。でも、公衆電話しか使えなかった時代が確かにあったことはちゃんと記しておきたい。

テクノロジーは、確かに進化していく。

でもきっと、そのとき抱いたような気持ちは変わらなくて。テクノロジーの進化に順応しながら、快楽も悲哀も募っていくのだろう。

当たり前のように使っている道具が、20年後はなくなっている。何がなくなっているんだろう。それは、「思い出」として誰かの記憶に残るものなのだろうか。